葉隠 HAGAKURE by Daichi Soga


エンディングストーリーについて考える


ふと、yahoo ニュースで見かけた、作家・中村うさぎさんの 2度に渡る臨死体験。


> 大きな光が迎えにきた!とか、川の向こうのお花畑で死んだおばあちゃんが『帰れ!』って言ったとか、

> いろいろ言うけど、あれ全部ウソよ。

> 2回も臨死体験したあたしに言わせればね、

> 死ぬって事は、コンピューターやモニターの電源を切るのと同じ。

> 消した途端にブラックアウト。残念でしたー



正直いってこの人のことは全く知らない。


でも、臨死体験で語ったことにはとても考え深いものがある。


要するに死んだら、魂すら消えてなくなるということだよね。


僕は幽霊だとか、天国・地獄、輪廻転生の類はありえないものと考えていたし、死んだら自分は消えてなくなるのが自然だと考えていた。


それだけにこの臨死体験者の言葉には現実味を感じる。



俗にいわれる死後の世界やその概念は、生きている人に何とか希望を見出してもらおうとした結果の創造物なんだよね、きっと。


死んだ誰々にまた会える!とか、来世でまた会おう!というセリフを聞くけど、生きている僕たちはそうでも言わないと気が狂ってしまうのだろう。



『意識が永遠に生き続けたら拷問よ』というララァの言葉。


この考えは、なかなか的を射ていると思う。


この世は煩悩や苦しみに満ちていると感じるし、もし天国・地獄なるものの概念で考えるならば、この世は地獄かもしれない。


だから、魂を有する生命体はどこかで苦しみから解放される必要があるのだと考える。


そして、それがいつか死という自己消去の形で訪れるわけだ。



ならば人がこの世に生を受けた時、意識は一体何処からやって来たのだろう?


そして人は何のために生を享受しているのか?


という、人類最大の疑問がある筈なのに、それを考えたところで答えは出ないし、考えることすら無駄だと判っているから、人は生きる目的や自分の存在意義を見出すために、日々仕事をしたり何かのために努力をしているのかな。


そのことで自分自身をごまかして、生きることへの絶望回避に繋げているのかもしれない。



あと、死の直前に、生前に経験したことが走馬灯のように思い出されるというアレ。


僕的には何気に楽しみにしていたのだけど、電プチ風に逝くのだとしたら少しさびしい。


できることなら、感動のフィナーレで終わりたいものだな。



死というものが永遠の自己消去だとしたら、


今やっていることや将来に向けた努力が全て無駄のように思えて虚無感に襲われる。



人は皆、"今"を基準にこれからやってくる将来・未来のことを考えるが、


少しでもこの虚無感回避のために、自分のこれからを死の床から逆算して考えてみるのも一つの手かもしれない。

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